2024/07/16
【社長ブログ】業界経験35年目の工務店社長。
こんにちは!加須市、さいたま市、越谷市、幸手市を中心に無垢の暮らしを楽しむBinOの家づくりや、
自由設計、新築住宅の販売、リフォーム工事をしている、テクノホーム/BinOさいたまの代表を務めております金内 利之です。
本日から、不定期にではございますがテクノホームを創業して来年で30年となりますので、
節目を迎えるタイミングで新たにブログの執筆にチャレンジしていきたいと思います。
業界経験35年目の工務店社長
私は住宅業界に足掛け約35年間携わってきた者です。住宅以外の知識はあまりなく、逆に住宅や土地に関することは色々(酸いも甘いも)体験しており
それなりの知識はあります。日々忙しい身ではありますが、住宅バカ一代社長の感動したことや心に浮かんだ色々なことなどを綴りますので、お時間のある時に読んで頂けると幸いです。
私は1959年生まれで、今年65歳になるヤングシニアです。
昔の65歳といえば、もう引退してもおかしくない年ですが、『今の60歳は昔の40歳だ。』と自分に言い聞かせて、
老体に鞭打って日々頑張っております。
多くの業界を経験したからこそ、住宅業界のすばらしさが分かる
さて、私は都内の大学卒業後、起業の為の資金を稼ぐ為に数々の職業に就きました。
大手住宅会社、不動産会社、車の販売会社、有名な現金問屋、餃子の○〇、酒販業者、トラックドライバー(2トン)、地質調査会社、家庭教師
などを経験致しました。
私は好奇心が旺盛で、若いうちは興味のある業種があると、すぐに飛び込むタイプでしたので、興味の赴くまま多種多様な職種を体験しました。
24歳の時に一度起業するも、資金不足の為に1年足らずでサラリーマンに復帰した苦い思い出もあります。
色々とジョブ・ホッピングをしたことは若気の至りですが、色々な職種、色々な方々と接することができ、今では貴重な体験をしたと思っております。
サラリーマン生活の合間にドライブインを3年8か月経営しておりました。
(今はドライブインという形態はほとんど見かけませんが、昔はトラックの運転手の方などが
気軽に食事がとれる食堂として認知されていたものです)
私が26歳の頃は一番羽振りが良かった時期でした。初めは、中古住宅を購入し車を4台も所有し独身貴族の生活を謳歌しておりました。
しかし、その当時宵越しの金は持たない主義でしたので、貯金はほぼゼロでした。
ハウスメーカー・不動産会社・地盤調査会社での修行
その後、ドライブインの仕事は年を取ったら肉体的にきつくなると思い、何かほかの仕事がないかと色々探しておりました。
前述した通り、色々な仕事を経験後30歳の時に大手住宅会社に就職しました。
その会社での仕事は自分の性分に合っていたようで、本当に楽しかったです。特にお客様のご要望をお聞きし、
お客様と二人三脚で作成した2次元のプランが現実に建物になる工程にワクワクしたものです。
その会社で都合2年5か月修行し、その後岩槻市(現在のさいたま市岩槻区)の不動産会社で3年間修行しました。
その会社の社長は、この業界では有名な立志伝中の人物であり且つ人格者であり、今でも尊敬しております。
初めから修行のための就職ですと、申し上げていたにもかかわらず、貴重な体験談をお聞かせいただいたり、重要な仕事を任せて頂きました。
その後、ボーリング工事オペレーターの助手待遇でしたが、大宮市(現在のさいたま市大宮区)の地質調査会社10か月勤めました。
その頃には既に住宅会社の経営を決心しておりましたので、関連する地質の勉強もしたいと思い就職した次第です。
その会社では、海底トンネル工事のボーリング調査や山奥のトンネル工事調査などで福島や岐阜などいろいろな地域に泊まり込みで作業をしました。
岐阜の山奥の現場では1か月半飯場に寝泊まりしました。
35歳の時に株式会社テクノホームを起業
多くの経験を経て、35歳の年にテクノホームを起業しました。起業したての頃は、
ある不動産業者さんとジョイントで新築分譲事業を中心に業務を行っておりました。
土地を仕入れてはお客様のご希望の住宅を建てるいわゆる売り立て分譲住宅の仕事が中心でした。
あるきっかけで、当時会員数全国ナンバーワンの住宅専門のFCに加入し、その後は注文住宅を中心に業務をするようになりました。
そのFCは、色々な経緯で活動休止状態になり、FC脱会後、当社はフリー設計中心の住宅会社になりました。
当時、当社の旧モデルハウスがTVCMに起用され、有名俳優さんが撮影に来ていたのを昨日のことのように思い出します。
(幸手市の小さな工務店が、全国放送されたのですから今考えれば素晴らしい事ですよね)
それから十数年たち、息子(金内 俊一郎)が当社を継ぎたいと申し出ました。その息子の要望でBinOマスターズクラブに加入し現在に至っております。
50歳代中盤までは、今の会社の経営を主体にしつつも、個人指導塾やリサイクルショップなどの経営にも手を広げたりしました。
それに飽き足らず中古車販売も面白そうかなと起業一歩手前までいったことがあります。ただ、50歳代後半になり、気力はあるのですが、
体力が少々衰えてきましたので、住宅会社以外の会社はたたみました。
今後はこの道一筋で住宅バカ一代人生を完結させる所存でございます。
今日はこんなところで終わりにいたします。最後までお読みいただき誠にありがとうございました。